この度のコンサートは神戸国際ホール。
最近の達郎のコンサートは大阪フェスティバルで2回、神戸で1回というパターンが多い。
しかし大阪フェスティバルホールは現在、建替による休館なので今回のツアーは神戸での
コンサートが2回になったようだ。
神戸国際ホールの収容人数は2,100人。
一方の大阪フェスティバルは2,700人。
今回のツアーは通常のツアーより約3300枚もチケットが少ないのである。
その為、この度のチケットは非常に入手が困難だったらしい。
一説によると一階席全てがファンクラブのチケットだったとの噂もあるほどだ。
僕は今まで何度も大阪フェスティバルで達郎のコンサートを観てきた。
そのため、ついフェスティバルと神戸国際を比較してしまうのだ。
この度の神戸国際は明らかにフェスティバルに比べて音量を押えているように感じた。
僕の席は一階席の前から12列目でスピーカー寄りだったのだが、音が大きいと感じる
ことは無かった。
また、音質もフェスティバルのライブより『バランスが”良すぎる”』と感じたのだ。
音楽のジャンルにもよるが、ROCK、POPS系のライブは音に多少の”荒さ”が
あるほうが気持ち良く感じることもある。
席の場所にもよるが、個人的な感想では神戸国際ホールは音の反響を強く感じた。
この度の『バランスが良すぎる』と思える音ですら、かなり”ライブな感じ”に聴こえた
のである。
(※”ライブな感じ”とは : 家具等、何もない部屋で手をたたくとビンビン響く感じ。)
会場の音響特性を考慮した結果、フェスティバルより”音を抑える”ように設定したので
はないだろうか。
現在も全国ツアー中で”ネタばれ防止”(達郎の強い要望)のため、あえてコンサートの
内容については書かないが、コンサートが始まってしまえば、会場の音響の良し悪しなんか
全く気にならない完璧な演奏とサービス精神旺盛な演出で達郎ワールドに引き込まれた。
『今日は気持ちよく(演奏が)出来る』と上機嫌だった達郎。
『キレイなホールですね!』と言いながらも・・・・・
『気持ち良いのはお客さんが素晴らしいからで・・・会場は、ほめてませんよ!』
と厳しい一言もいっていた。
さて、大阪フェスティバルホールは2013年に完成である。
肝心の新生大阪フェスティバルホールは達郎に気に入ってもらえるのだろうか?
おやすみロージー(1999.2.11 大阪フェスティバルホール)
来週、9月26日は同じく神戸国際ホールでキースジャレットのコンサートだ。
キースも達郎と同じく、大阪フェスティバル休館のため神戸国際ホールの代替組だろう。
達郎と同様に、僕はキースも何度もフェスティバルで聴いてきた。
さて、キースのピアノがどのように聴こえるか楽しみである。
近年、JEFF BECKのコンサートで感じるのが観客の年齢層が広くなっていくよう
に思うのである。
見るかぎり30~40代が多いようだが50代や20代位の人達も結構、平均的
にいるのだ。
性別でいうと、新旧のいわゆる”ギター小僧”といった感じの男が多いが、最近
は女性の姿も見られるようになってきた。
今回、僕の横の席には20代位の女性が一人で観に来ていたのは驚いた。
僕の席の斜め後ろには2人の50代位の普通のサラリーマン風のオヤジがいた。
風貌や服装からみて会社の管理職クラスのようにも見えないでもない。
2人は熱心なファンのようで、開演直前にはテンションが上がって来たのか会話
もかなり盛り上がっていた。
オヤジ1 : (パンフレットを嬉しそうに見ながら)毎回、コンサート来るたびに
必ずパンフレットを買うてるなぁ。
オヤジ2 : パンフ買うのは基本や!
ワシは毎回必ずTシャツを買うてるで!
オヤジ1 : 実は今日、午後から会社を休んだんや。
有給をとって来たんや!
オヤジ2 : えぇぇ~!あんた、わざわざ会社休んだんかいな?
オヤジ1 : こういう重要な日に限って緊急の会議とか、ややこしいトラブルが
勃発するんやなぁ・・・。
そうなるとせっかくのコンサートがパ~や!
(この話、僕も痛いほど良く解る!!!)
50代の普通のサラリーマン2人が ROCK のTシャツ等の話題で盛り上がり、また
会社を休んでコンサートに来る。
全く事情を知らない人が実際に、この2人のやりとりを見るとかなり違和感を感じ
るのではないだろうか。
しかし、僕は実にその気持が良く解るのである。(Tシャツは買わないが・・・)
2人とも中高生の頃からJEFF BECKのファンでそのまま大人になったのだろう。
しかし、昔を懐かしむようなノスタルジーでJEFF BECKを観に来ているのではない。
以前にも書いたことがあるが、JEFF BECKは懐メロではなく『現役』なのだ。
3月に発売されたニューアルバム『Emotion & Commotion』は近年の作品の
ような”いわゆるギターアルバム”とは一転した内容だった。
特に驚いたのは”イナバウアー”で有名になったオペラ『トゥーランドット』をオーケ
ストラをバックに演奏したり”ホワイトアレサフランクリン”と呼ばれるJoss Stone
等をボーカルで起用したり大変にバラエティーに富んだ内容だった。
また、この度の大阪公演ではお決まりの『BLUE WIND』や『哀しみの恋人達』の
演奏がなかったように70~80年代の曲は少なく、ほとんどは近年のアルバム
からの構成となっていた。
一昨年前の12月、山下達郎がコンサートで言っいた。
『パッションを持ってる限り、古い作品も懐メロにはならない!』
65歳の JEFF BECK は以前と変わらぬパッションを持ち続けているのだ。
だからこそ JEFF BECK は現在も新しくファンを獲得し、ファンの年齢層も広くな
っているのでははないだろうか。
アンコールも終わり会場のライトが明るくなった。
よほど声援を送ったのか『いや~良かった!最高やった!』と喜ぶオヤジの声は
枯れていた。
一方の僕は、拍手をし過ぎたのか手が真っ赤になってシビレていた。
そう、JEFF BECK はいつまでも僕らを熱中させてくれるのだ。
ただし、今回のコンサートでノスタルジーに浸った瞬間があった。
それは、アンコールで昨年他界したレスポールへ『レスポールへのトリビュート』
とコメントしたJEFF BECK は黒のレスポールギターを弾き始めたのだった。
今や JEFF BECK といえば”ストラトキャスター”というイメージになってしまったが
僕が JEFF BECK を聴き始めた頃の『Blow BY Blow 』のジャケットや『Wired』
の裏ジャケには黒のレスポールギターを持った JEFF BECK が描かれていたのだ。
黒のレスポールで演奏するJEFF BECK を見て、中高生の頃に近所のレコード屋
でなけなしの小遣いで買ったレコードをむさぼるように聴いていた事を思い出して
しまった。
Jeff Beck / Guitars
Jason Rebello / Keyboards, Guitar, Vocal
Narada Michael Walden / Drums, Vocal
Rhonda Smith / Bass, Vocal
この度のコンサート、2010年4月7日 グランキューブ大阪 より
今まで観た JEFF BECK で今回が一番ギターが”歌って”ました。
『Corpus Christi Carol』
近年のコンサートではオープニング後のお決まりの曲です。
『Stratus』
これも近年のコンサートでは欠かせない曲!泣けます!
『Brush With The Blues』
さて、虎年、寅年の始まりである。
トラといえば!!!
いや、止めておこう。
期待を120%裏切るのチームなのである。
新年早々暗くなる話はやめておく。
明るい話といえば!
な、何と昨年に引き続きまたJEFF BECKが来日するのだ!!!
新年らしい実におめでたい話ではないか!!!
しかし、一昨年も昨年もライブ以外の新作を出してないのに来日とは?
まさか、JEFF先生もベンチャーズのようになってしまうのでは・・・
それとも新しいビンテージカーが欲しいのだろうか?
(JEFF先生は無類のビンテージカーマニアなのだ)
新年早々暗くなる話はやめておく。
まあ、ベンチャーズと言われようが、JEFF先生が毎年観られるなら涙ものだ。
ということで本年もどうぞよろしくお願い致します。
今年の一曲目はやはりJEFF BECK
このSOPHEという曲は名盤”Wired”に収録されている隠れた名曲。
コンサートではほとんど演奏されてないのかブート盤でもほとんど
収録されてない。(もちろん僕もライブで聴いた事がない)
これは1976年の貴重なブートレッグ盤なのだ。
SOPHIE / JEFF BECK (BRORKEN WIRED)
新年だからもう一曲貴重な音源を。
実はJEFF BECKは以前、TOTOのギタリストSteve Lukatherのプロデュース
でアルバムを作っていたのだ。
しかし、そのアルバムはボツになって幻のアルバムになってしまった。
Steve Lukatherと交友関係のあるギタリストのチャーがFM番組でこの事に
触れていた。
Steve Lukatherが言うには『ひどい話なんだ。JEFF BECKのニューアルバム
をプロデュースしてアルバムもほとんど出来上がった段階で JEFF BECK が
突然『これは全くダメだ。こんなアルバムは発売出来ない』と一方的にボツに
されたんだよ!』
僕はこの話、何とも JEFF BECK らしいと思うのである。
Steve Lukatherには気の毒だが、レベルが違うのである。
天才というのは、そういうものなのではないだろうか。
ボツにされた残念なアルバムから一曲。
T-BONED / JEFF BECK (THE STEAKHOUSE SESSIONS)
この頃になれば思い出す。
もう、十年以上前の事・・・・・
12月のある日、営業部のしんちゃんから『飲み』のお誘いがあった。
しんちゃんは同期で最も親しい友人。
あの頃、しんちゃんとは会社帰りに週一ペースで飲みに行っていた。
仕事が終わって会社の玄関に行くと、しんちゃんと営業部の先輩のノブさん
が一緒に僕を待っていた。
ノブさんは僕達より5歳年上の百選練磨の営業マン。
無類の酒好きで宴会では飲みまくり、ハイテンションなノリで宴会を仕切る
宴会帝王ということで会社内だけでなく同業者の間でも有名だった。
部署は違う僕も、しんちゃんの同期ということで随分可愛がって頂いた。
ノブさんが僕たちを連れて行ってくれる店はいつもリーズナブルな某居酒屋
チェーンだった。
しかし、その日はフグ料理店に連れて行ってくれたのだった。
蟹道楽 :「えっ、ノブさんこの店に入るんですか?」
ノブさん :「たまには、エエやろ!」
実はこの時、地獄への扉を開けた瞬間だった・・・・・
通された部屋に入ると、営業部の部長が既に座っていたのだ。
「部長!お疲れさまです!」と最敬礼をするノブさんとしんちゃん。
ビックリした僕も一緒に最敬礼をした。
営業部長は、にこやかに我々を迎えてくれた。
営業部長 :「さて、メンバーが揃ったようやな。」
ノブさん :「はい、最強のトリオでっせ!」
営業部長 :「蟹道楽クン、君のことは昔から一目置いっとったんや!」
「今回はカンバッてくれよ!頼んだデ!」
蟹道楽 :「はぁ~?何の事でしょうか???」
何の事か解らなかったが、僕はあまり気にすることはなかった。
何といってもフグ料理が目の前にあるのだ!
てっさ、フグのから揚げ、白子、てっちり・・・僕は至福の時を過ごした。
フグの後は営業部長のオゴりで北新地の高級ラウンジ(きれいなお姉さん
がイッパイ!)へとハシゴ酒。
そして帰りは終電に間に合わなかったのでタクシーチケットまで頂くという
ゴージャスな夜だった。
翌日、僕はノブさんにお礼を言うとノブさんは「いやいや、安いもんや!」
「飲んだ分、協力を頼んだデ!」という。
いったい何が始まるのだ?
本能的に悪い予感が脳裏をかすめ、しんちゃんに問いただすと衝撃的なこと
を伝えられたのだった!
”我々3人はK社の忘年会で宴会芸を披露するとの事。”
宴会芸はK社の部長じきじきのご命令。
その命令とは
『セーラームーンのコスチューム姿で楽しく踊って歌え!』
というの死ぬほど恥ずかしいものだった。
これを聴いた瞬間”後頭部をハンマーでドツかれた”ように目まいがした。
K社は超有名企業(まず、皆さんも聞いたことがある会社)
ノブさんにとって年間に億単位の仕事を頂いている上得意様だった。
今回の忘年会を仕切るK社の担当部長は体育会系の方で”気合と楽しい宴会”
をこよなく愛し毎年、忘年会では取引先を呼んで宴会芸を楽しんでいたのだ。
その年は我社が”いけにえ”になる番だったのだ。
K社部長 :「うちの宣伝部にセーラームーンのコスチュームがあんねん!」
「おもろい宴を期待してるで!」
と依頼があったらしい。
な、何で・・・人事部の僕が営業の宴会でセーラームーンを踊るのだ?
セーラームーンだけは丁重にお断りしなければ孫末代の恥である。
しかし、食べたフグは戻ってこない。 (約1万5千円也)
北新地のラウンジ代もかなりの高額。(約3万円也)
とどめの、タクシーチケット (約7千円也)
しかも、個人的にノブさんにはお世話になっている。
新入社員の時、僕が上司に理不尽な事を言われ悩んでいる時、本気になって
上司とケンカをしてくれたこともあった。
借りがあり過ぎる・・・・・
ということで、悲しいかな断ることが出来なかったのだ。
翌週、しんちゃんの家でセーラームーンをビデオで研究する事になった。
3人とも初めて見るセーラームーン、見終わってからノブさんが言った。
「やっぱ、ワシが主人公や!お前ら、青や赤のギャルの役や!」
ありがたい話である。
その時はノブさんは率先して一番嫌な役を引き受けたと感じたものだった。
宴会芸はテーマソング合わせて面白おかしく”お色気たっぷり”にダンスを披露
するということになった。
ある日、しんちゃんの自宅でダンスの練習をしていた時だった。
突然、しんちゃんの母上が部屋に現れたのだった。
母上は僕達を凝視したまま固まっていた。
ノブさんが、「お母さん、営業課長のノブです!」と丁寧に挨拶したが母上は全く
反応が無かった。
宴会に向けて日々行われるハードな練習、しかし僕には超えられない一線があった。
それは、3人で同時に叫ぶ最後の決めセリフ。
「月に代わってお仕置きよ!」
これが、言えないのである。
”理性”が邪魔をするのである。
このセリフを言うと最後の一線を越えてしまうような気がして恐ろしかった。
そしてついにノブさんが怒ったのである。
ノブさん :「こら~、”月に代わってお仕置きよ!”をしっかり言えや!」
蟹道楽 :「・・・・・」
ノブさん :「この後におよんで、恥ずかしいと思っとるんとちゃうやろなぁ?」
「これをやっとる事自体、恥ずかしんや!」
「自分を飾ったら余計にカッコ悪いんや!」
「頑張ってアホにならなアカンねん!」
全く頑張りたくないが、このように根性物語を語られたら後には引けない。
ノブさんの言うようにセーラームーンをやる事自体、狂気の沙汰なのだ。
アホになるのだ!
そして「月に代わってお仕置きよ!」・・・と思いっきり叫ぶのだった。
日々、打たれ強くなる僕は同時にアホになっていくのが怖かった。
だんだん宴会の日が近づいてきた。
ある日、ノブさんがK社からコスチュームを持って帰ってきたのだった。
目の前にあるセーラー服のコスチューム、さすがに背筋に悪寒が走った。
しかしその僕の気持とは裏腹にノブさんはいきなりコスチュームを着始めた。
そして、「どや!」とはにかんでいるのだ。
セーラームーンのコスプレで、はにかむ色黒の中年おやじの姿・・・・・
まさに、地獄絵図を見ているようなものである。
「これを着るんかいな・・・・・・・」
まだ、理性が残っていたのか情けなくて目頭が熱くなったのだ。
一方、ノブさんは「早よ、オマエらも着んかい!」と怒鳴っている。
そして、「こら~、しん!ワシだけ恥かかせるのか!」と、しんちゃんに迫ったのだ。
ああぁぁぁ・・・ しんちゃんがノブさんに捕まってしまった。
そして観念したのか、しんちゃんもコスチュームを着始めたのである。
ついに、ノブさんは取り付かれたような目で僕の方に向かってきたのだった。
「蟹ちゃんも早よ、着るんや~!!!」
あかん・・・もう終わりや・・・・・・
その時 「バリッ!!!」という音がした。
巨漢のしんちゃんが着たコスチュームが見事に破れたのである。
それを見て慌てたノブさん、しんちゃんに怒鳴り始めた!
「ああぁぁぁ! お前どないすんねん!借り物やぞ!」
「お前がブタやから、アカンねん!」
「スンマセン、スンマセン・・・」とひたすら謝るしんちゃん。
しんちゃんがコスチュームを破ったおかげで、宴会当日までコスチュームの試着は
控えることになった。
さて魔の忘年会開催が数日後に迫ったある日の朝。
僕は会社に入った一通のFAXに目を奪われた。
その瞬間、考えるより先にFAXを握りしめ、しんちゃんのもとに走っていたのだ。
FAXを見たしんちゃんはガッツポーズで「よっしゃ!!!」と雄叫びをあげた。
そのFAXとは、部長の御父上様の訃報であった。(不謹慎な話で申し訳ない)
『魔の忘年会はこれで中止だ!!!』
我々は固く握手をかわしてお互いの労をねぎらったのだった。
後にも先にも、この時ほどシガラミから解き放たれた自由な気分は味わったことがない。
しんちゃんはFAXを持ってノブさんのデスクに走った。
『ノブさん!完璧に忘年会は中止ですわ!』
『神様って居てはったんや!ホンマ良かったですね!』
歓喜している我々とは対照的にノブさんは冷静にFAXを読んでいた。
そして 『ホンマ・・・良かった・・・・・』 と力なくつぶやいたのだった。
忘年会シーズンも終わり、クリスマスが近づいた今日この頃。
Alexander O'Neal / MY GIFT TO YOU
]]>
今となっては遠い昔のように感じる今年の夏。
今年は夏らしい夏を感じることが無かったので、心残りがあるのだ。
それは、ボサノバを十分に堪能しなかったこと。
以前、書いたこともあるのだが僕の夏の楽しみの一つとは・・・
”暑い夏、冷房の効いた部屋で冷えたビールを片手にゆったりボサノバを聴く”
今年の夏はこのような楽しみ方をほとんどしなかった。
ボサノバの一番心地よい”旬の時期”を逃してしまったのである。
ああ、無念!!!(とはいえビールはそこそこ頂きました)
しかし秋に楽しむボサノバもある。
アンテナ / ボサノバアルバム
前回の記事でも書いたのだが、ヨーロッパ系のミュージシャンの音の傾向は
しっとりとして、繊細、いわゆる派手でないものが多い。
これは音楽に限ったことでなく、オーディオでもその傾向が強い。
僕の使っているスピーカーはアメリカのJBLである。
音の傾向はカリフォルニアサウンドと言われる様にカラっと明るく力強い。
一方、ヨーロッパのスピーカーは繊細で陰影のある傾向のものが多い。
オーディオショップやオーディオショーでJBL等、アメリカ系のスピーカー
とヨーロッパ系のスピーカーを聴き比べると音の傾向が全く違うのである。
特にヨーロッパ系のスピーカーで普段、聴き慣れたCDを聴くと同じ音源とは思え
ないほど違った感触を受けることがある。
僕はJAZZ、ROCK、SOULを中心に聴くため、JBLのスピーカーを選択した。
もし僕がクラシックやボーカル系の音楽を中心に聴くならヨーロッパのスピーカー
を選択していたかもしれない。
中でも一番気になるスピーカーはイタリアのソナスファベール社のスピーカーで
しっとりした女性ボーカルを聴くとたまらなく魅力的なのだ。
また、このメーカーの木工技術は素晴らしく、スピーカーも美しい工芸品なのだ。
話がそれたが、アンテナはフランス人ミュージシャンである。
デビュー当時からボサノバ系の曲を演ってきたのだが、アンテナのボサノバは
明らかにブラジルのボサノバとは異なる感触があるのだ。
太陽がまぶしいリオの海岸でゆったりと演奏しているようなボサノバというより、
北欧の静かな森林の中でしっとりと歌っているような感じなのである。
今年の夏、やり残した『ビール片手のボサノバ鑑賞』・・・
この秋はワイン片手にアンテナのボサノバ鑑賞と洒落込みますか!
SERPENT A PLUMES / Isabelle Antenna
僕がラーシュヤンソンを知ったのは数年前。
行きつけのレコード屋の店主から「蟹道楽好みのピアニストだよ!」ということで
紹介されたのだった。
ラーシュヤンソンはスウェーデン人のピアニスト。
いかにも北欧のピアニストらしい繊細なピアノを弾くのだが、いわゆる北欧JAZZの
ような「ジメっとした湿気感」が無いのである。
僕にとってラーシュヤンソンの一番の魅力は美しいメロディー。
叙情的で美しいメロディーを作らせたらラーシュヤンソンは天下一品である。
一般的にJAZZにおいて、叙情的で美しいメロディーばかり聴かされると飽きてくる
のだが、ラーシュヤンソンに関しては不思議にまったく飽きないのだ。
この度、僕は初めてラーシュヤンソンを生で聴くことができた。
会場は大阪の阿波座にあるKOO'ON(空音)という新しいホール。
僕はこのホールを初めて訪れることもあり、この日のライブは楽しみだった。
会場は地下にありエントランスも洒落ている。
開場が始まりこのホールに入った。
会場はミニマムな空間で客席数も100名程度。
ステージもグランドピアノ、ベース、ドラムが横に並べば精一杯といった感じだ。
僕は会場に入って、まず感じたことがあった。
『このホールは音が一体化して弾丸のように攻めて来る!』
今までこのようなホールでピアノトリオを聴くとドラムとベースの爆音がピアノ
に勝ってしまうのである。
特にラーシャヤンソンのような繊細なピアニストではピアノを十分に楽しめない
のではないか?と感じてしまったのである。
さて開演時間の7時30分になり、会場のライトが消された。
すると突然、大音響で・・・
「Ladies and gentlemen!
welcome to the KOO'ON・・・」
とアナウンスが始まったのだ。
これには拍子抜けしてしまった。
BlueNote等の会場ならまだしも、この様な雰囲気で小さなホールには似つかわしく
ないアナウンスなのである。
(ちなみに悲しいかな、アナウンスは2ndステージの開始時にも行われた・・・)
そしてメンバーがステージに登場した。
ピアノのラーシュヤンソンは音楽家というより医者か大学教授といったイメージ。
ベースのクリスチャン・スペリングは貧弱なシュワルツェネッガー、
そしてドラムのアンダーシュ・シェルベリは左官屋のおっちゃんという風貌だ。
しかし、このトリオは凸凹の外観とは裏腹に緊張感と洗礼された演奏なのだ。
特にラーシュヤンソンのアドリブの美しさには魅きこまれてしまった。
ラーシュヤンソンはホスト精神が旺盛で観客に向かって懸命にコミュニケーション
をとろうとしていた。
しかし、僕はもちろん約100人の観客のほとんどが英語が解らないようだ。
そのため、ほとんどの場合の観客の反応は「・・・・・」という悲しいものである。
とはいえ、もちろん我々観客側も一生懸命彼の言うことを理解しようとする。
そのため、ラーシュヤンソンが笑うと、『笑っとるから一緒に笑ったろか・・・』
という使命感で一緒になって笑うのだが、笑いが途切れると会場全体が『し~ん』
と静まり返り、なお一層の寒々とした空気が流れるのである。
JAZZの場合、外国人ミュージシャンの日本でのライブのスタイルとしては、キース
ジャレットのように、ミュージシャンは観客とのコミュニケーションは最小限にして
ミュージシャンが演奏に没頭するほうがミュージシャンも観客も幸せなのかもしれ
ない。
ちなみに、彼の話で解った話は1歳になる孫娘が可愛くてしかたがないという話。
ラーシュヤンソンはその彼女に作った曲を本当に気持良さそうに演奏していた。
また、最初に会場に入って予感した『音が一体になって弾丸のように攻めてくる』
感覚は全く気になることはなかった。
これは会場のPAも優れていたのだろうが、やはりラーシュヤンソンの演奏にあったの
ではないだろうか。
ラーシュヤンソンの演奏は叙情的で美しいピアノだが、実際にライブで聴いたピアノ
は躍動感あふれ、力強いタッチでリズムセクションに絡んでいたのである。
CDで聴くラーシャヤンソンの演奏で北欧的な「ジメっとした湿気感」を感じなかった
のも、そもそもスイング感があるピアニストだったのだろう。
ライブの後、サイン会が行われた。
サインをもらい握手をしたラーシャヤンソンの手は分厚く温かかった。
LARS JANSSON TRIO / hope
それがビートルズだった。
初めて積極的に音楽を『聴いてみたい』と思ったのだった。
しかし”極悪非道の兄”が簡単に聴かしてくれるわけがない。
子供の頃の兄のイメージは、『暴力的』『脅す』『理不尽』『ややこしい』等々。
いわゆる、タチの悪いチンピラのようなものだった。
結局、兄が留守を見計らって、兄の部屋に忍び込んでビートルズのレコードを聴くように
なり、これが密かな楽しみになったのだ。
僕の記憶では、兄の部屋にあったビートルズのアルバムは『A HARD DAY'S NIGHT』
『Rubber Soul』『The Beatles /1962-1966』(赤盤と呼ばれるもの)。
また、『I Want To Hold Your Hand』『We Can Work It Out』『Ticket To Ride』
『Can't By Me Love』『Hey Jude』『Let It Be』(Let It BeのシングルはLP風の
厚紙ジャケットで良いつくりだった)のシングル盤があった。
こっそり部屋に忍び込んで聴くには、LPよりシングル盤のほうが扱いやすい。
そのため聴くのは主にシングル盤だった。
最近のCDシングルは”ダブルA面シングル”というA面とB面が同じ扱いをされて
いるパターンが多い。
しかし、昔のシングル盤はA面に比べてB面は明らかに地味な曲が収録されていた。
ところがこれらのビートルズのシングルに関しては、僕は知名度の高いA面よりも
地味なB面の曲のほうが好きだった。
『Can't By Me Love』B面の『You Can't Do That』、『Ticket To Ride』B面の
『Yes it is』、そして中でも好きだったのは『I Want To Hold Your Hand』B面の
『This Boy』。
たまに聴くLPでも派手なアップテンポの曲よりミディアム ~ スローテンポの曲の
方が好みで、特に『If I Fell』や『In My Life』等のバラードが好みだった。
ビートルズの2種類のボックスが発売になる。
①リマスター・ステレオCDボックス ¥35,800 (国内盤)
②モノCDボックス ¥39,800 (国内盤)
合計¥75,600 !!!・・・欲しいが、両方を同時に買える資金がない。
そういう訳でどちらのボックスを優先するか比較検証してみた。
①はビートルズのCD発売以来、初のリマスタリングでありオリジナル全アルバム
のステレオ盤16枚とおまけDVD付き。
う~ん・・・これだけを見ると「このボックスを購入して、今までもっているCD
を中古屋に売ってしまおう!」・・・と思ってしまう。
しかし今回の目玉は地味にみえるが②なのである。
②は『レット・イット・ビー』と『アビー・ロード』以外の13枚のアルバム
のモノラルバージョンでミックスやテイクが違うものも含まれているらしい。
そしてまたこのモノCDボックスは限定盤でバラ売りはしないのだ。
リマスター・ステレオ盤なら買いそびれもバラ売りで揃えることも可能なのだが、
モノCDボックスは買いそびれると、二度と手に入らない危険性もあるのだ。
しかし、このモノCDボックスの国内盤には納得できない大きな問題がある。
それは価格設定がボッタくりなのである。
13枚組で¥39,800といえば1枚あたりの価格が、何と¥3,062!!!
一般的なJ-POPの新譜より高いのだ!
ちなみ、に輸入盤の価格はAMAZONで¥26,673 也。
なんと、日本盤に比べて¥13,127も安いのである。
そもそも、このモノCDボックスは日本で作られ輸出しているのだ。
逆輸入盤より輸出元の日本の価格が¥13,127も高いというのは異常である!
さすが殿様商売で名高いEMIミュージック!!!
客の足元を見た、悪質な”ボッタくりバー”のような商売をしているのだ。
この状況を考えれば日本盤なんかアホらしくて買えわけがない。
という訳で僕はAMAZONで輸入盤のモノCDボックスを予約したのだった。
とはいえ”限定盤”とか”価格設定がどうのこうの”と言っても、この度の選択で
決定的な理由は、基本的に60年代半ばのビートルズのアルバムはモノラルである
ということなのだ。
やはり優先して買うべきはモノCDボックスという結論だった。
ただし、今回の件でふと、考えさせられた事がある。
小学生の時、兄のポンコツのレコードプレーヤーで聴いていたビートルズのレコード
がモノラルだったのか、ステレオだったのか全く意識をしていなかった。
その当時はステレオかモノラルか、そんな事どうでもよかったのだ。
純粋にビートルズを聴きたかっただけなのだ。
そう思えば”リマスターがどうのこうの””モノラルが基本”なんて事はビートルズ
を鑑賞する本質から外れてしまっているのかもしれない。
兄の部屋に侵入してレコードを聴いていた最初の頃、『いつ兄が帰って来るか解ら
ない』という常に緊張感を持ちつつレコードを聴いていた。
しかし人間というものは、だんだん慣れてくるものである。
そのうちに緊張感も無くなりリラックスしてレコードを聴くようになっていた。
ある日のこと、その日も気持ちよく”ノリノリ”でレコードを聴いていた。
その時突然、部屋の扉が開いたのだった!
そこには兄が大魔神が怒り狂ったような顔をして仁王立ちになっていた。
言うまでもないが数秒後、僕は兄にボコボコにシバかれたのであった・・・・・
もう、三十数年前のこと。
僕が音楽無しでは生きていけない体になってしまった頃の話である。
Across The Universe / The Beatles
]]>学生時代は結構、パチンコに行く事もあった。
当時は『ゼロタイガー』という『羽もの』とよばれるパチンコ台が流行っていた。
この頃からパチンコは娯楽というよりはギャンブル性が高くなって使う金額
も半端ではなくなったようだ。
とはいえ、僕の場合は負けても2,3千円程度。
先日、会社内で聞いたパチンコ好きの会話。
A :「あ~ぁ・・・昨日、4万負けてしもうた・・・」
B :「中途半端な4、5万程度が一番痛いんや!」
「一日で10万以上負けたら、別に何とも思わへん!」
僕の趣味が音楽であるように、パチンコが趣味という人もいるだろう。
また価値観は人によって異なるということも十分理解しているつもりだ。
しかし、僕はこの会話の2人とは思考や価値観に隔たりを感じるのだ。
4万円あったら ~ 新譜の輸入盤CDが21枚以上は買える!
10万円あったら ~ オーディオ関係購入の軍資金になる!
僕ならこのように感じてしまうのだ。
そもそもギャンブル好きと言われる人は『いざ勝負!』という極めてポジティブ
な思考で『もったいない』『負ける』等、ネガティブな思考はないのだろう。
ところが僕は小心者なので負けた時のイメージが先行してしまう。
やはり、パチンコ等のギャンブル好きの人は僕のような『セコい性格』ではなく、
持って生まれた『博才』と『一発屋』としての気質や才覚があるのだろう。
『一発屋』といえば、音楽の世界にも『一発屋』といわれる人が多くいる。
打上げ花火のごとく、一曲の大ヒットで消えていったが、人々の記憶には残った
ある意味『一攫千金』を達成したミュージシャンである。
一般的に知られている邦楽の一発屋ミュージシャンといえば・・・
雅夢 / 愛はかげろう
僕は、ほとんど聴かなかったが同級生のフォークマニアから大人気だった。
あみん / 待つわ
曲そのものが明るくないが、僕が浪人時代に流行った曲なので余計に暗いイメージだ。
アラジン / 完全無欠の ロックンローラー
音楽というよりはコメディー(全く面白いとは感じなかったが・・・)。
ボーカルの高原兄はその後、『紳助の人間マンダラ』というTV放送に出演する様に
なってから良いイメージである。
堀江 淳 / メモリーグラス
堀江淳は、『あの人は今』と言う話題によく上がる歌手である。
その昔、ラジオの深夜番組で『堀江淳 死亡説』というガセネタが話題になった。
内容は(僕の記憶では)堀江淳は交通事故でトラックにひかれてしまった。
そして最後に『水割りを下さい・・・水割りを下さい・・・』と言いながら死んで
いったという話だった。
一方、久々に話題になった堀江淳はこれを逆手にとってコンサートツアーを挙行!
そのコンサート名も『堀江淳、生きてますよ コンサートツアー』
『何と、たくましい人なんだろうか!!!』と感心したものだった。
ところで今回、話題にした『一発屋』の経歴は・・・
雅夢 : 中京大学学生
あみん : 椙山女学園大学(名古屋)学生
アラジン: 名古屋商科大学学生
なぜか名古屋が多い・・・
名古屋といえばパチンコの発祥の地。
名古屋にはパチンコ製造メーカーが多数存在し、名古屋はパチンコの聖地とも
いわれている。
パチンコの聖地、名古屋は一発勝負の博才を持っている一発屋ミュージシャン
が多い地なのだろうか。
ちなみに、洋楽好きの僕にとって一発屋といったら『NENA』である。
唯一のヒット曲 99 Luft Balons はドイツ語ながらアメリカでも大ヒットした。
MTV全盛の当時、初めてNENAのビデオを見た時の衝撃は忘れられない。
ボーカルのNENAは結構可愛らしい女の子だった。
しかし、NENAには女の子には『あるはずのない”ワ☆毛”』があったのだ!
これは、自由の象徴ということだったらしいが・・・
『99 Luft Balons』はこの頃に流行ったシンセポップスの曲調でまさしく
80年代の渋谷のイメージのように感じる曲だった。
またその当時、この曲は渋谷の街中でやたらと流れていた。
99 Luft Balons / NENA
先日、限定盤で紙ジャケCDが発売された。
僕の持っているLPとはジャケットが違う・・・
僕の持っているLPのジャケット
ジャケットはもちろんの事、この曲はやはり当時のLPで聴きたい曲なのだ。
]]>
僕は醤油や塩味の”せんべい”が大好きだ。
『千寿せんべい』は”せんべい”という名前だが一般的な醤油や塩味のせんべい
とは別物である。
具体的にはクッキー状のものに固めのクリームがサンドされているお菓子である。
文字で書くと純粋な洋菓子。
また、実際に一つ一つの食材を見ても洋菓子にしか思えない。
しかし、『千寿せんべい』はデパートの菓子売場やギフト商品でも和菓子として売ら
れている。
そして不思議なことに、食べてみると洋菓子ではなく和菓子に感じるのだ。
やはり、和菓子会社から生まれてきた『千寿せんべい』は和菓子としてのDNAを
持っているからだろうか。
ANDREA POZZA TRIO / Drop this thing
少々前に買ったアルバムだが、いまだによく聴いているCDである。
ANDREA POZZA はイタリア人のピアニストである。
一般的にヨーロッパジャズといえば、澤野工房を代表するような叙情的なジャズ
が多い。
僕はヨーロッパ系ジャズが大好きなのだが、BLUE NOTE 等が好きなコテコテの
ジャズファンはヨーロッパ系のジャズが苦手という事をよく聞く。
僕の行きつけのレコード店の店主はコテコテのジャズファンである。
実際、この店主も「ヨーロッパ系ジャズは湿っぽくてねぇ・・・」と言うようにリリカルな
ヨーロッパジャズがあまり肌に合わないようだ。
しかし、一時期このアルバムは行きつけのレコード店でよく流れていた。
ヴォーカル入りの曲が多いこのアルバムは従来のピアノトリオやボッサ風と多様な
曲調で構成されているのでBGMとして良かったのかもしれない。
ANDREA POZZA はヨーロッパ系ジャズ特有の官能的というか叙情的なイメージ
をあまり感じない力強い演奏である。
とはいえアメリカのジャズとは明らかに感触が違うのだ。
やはりイタリア生まれのヨーロッパ系ジャズのDNAを持っているのだろうか。
ANDREA POZZA の演奏からは、ヨーロッパ特有のピアノを感じるのである。
Nebulosa
You can't get what you want
Alice in wonderland
Drop this thing
Push the pedal
Perfect day
Like in Nigeria
And it all goes round and round
How do you call it ?
Sir pent
誰が考えてもゴールデンウィーク期間中の大渋滞は予想が出来た。
しかし、解っちゃいるけど止められない。
そして案の定、墓穴を掘って大渋滞に巻き込まれたのだった。
何とかゴールデンウィークのリベンジを!!!
あ~ぁ、1,000円で空いた高速道路を思いっきり走りたい!!!
そう思っていた矢先の事。
TVを見ていると、年に一度の出雲大社大祭礼が紹介されたのだった。
期間は5月13日~15日までとの事。
ゴールデンウィーク明けで交通量も少ないはずだ!!!
『よっしゃ!1,000円で出雲大社に行くぞ~』
というたわいも無い動機で出雲大社に行ったのだった。
さすがにゴールデンウィーク明け、高速はガラガラに空いて快適に走れる。
全く渋滞にあうことなく、中国道から米子道に入り鳥取の米子市まで来た。
ところが、米子で何故か高速出口のゲートがある???
高速から出るつもりはないのだが、道はゲートまでの一本しかない。
なすがままゲートをくぐると『料金は¥1,000です』とETCが通知したのだ。
『えっ・・・何で???』
僕は全く高速を出たつもりは無い。
また走っている道路は全く高速道路であり、一般道とは思えないのだ。
僕は不思議に思いながら走り続けた。
しばらく走っているとまた高速のゲートが現れた。
そのままゲートをくぐるしかない。
すると、ETCが『料金は¥350です』と通知しているではないか!
な、何と! また高速料金をとられたではないか!
おおおっ、詐欺じゃ!!!
一部、二重徴収されていたETC上限1,000円割引もゴールデンウィークにはシステム
の改良が終了したよういわれていた。
しかし、この山陰自動車道は、全線開通していなく、一部は一般道らしい。
つまり高速を下りたことになるようだ。
たかが¥350なのだが、されど¥350なのだ。
僕の頭の中では¥1,000が強くインプットされていたので、とにかく無念なのである。
そう思いながら走っていくと、またまた高速のゲートがあるではないか!
しかしゲートを通るしかないのである。
ひえぇ~、またまた高速料金をとられた!!!
ETCの音声が楽しそうに『料金は¥350です♪』と言ってるようで憎々しい。
結局、¥1,000と思っていた高速料金はプラス¥700で¥1700・・・
往復¥3400で¥1400の予算オーバー・・・・・
単純に片道¥1,700と思えば安いのだが、素直に安いとは思えない。
土曜日の高速道路としては一度も渋滞にあうことなく、快適なドライブを楽しむ事
が出来たが、いまいち気持ちが晴れやかにならなかったのだ。
ということで出雲大社。
長い参道は広々としていてゴミ一つ落ちていないほどキレイである。
おっ、本宮が見えてきた。
『後ろの方に何かえらい近代的なビルが建っとるな~』と思ったのだが、現在
出雲大社は「平成の御遷宮」という56年ぶりの改装中だった。
工事中のため、本殿周辺には入れなかったのだが遠くから見ても圧倒される
大きさである。
また、このしめ縄も驚きの大きさだった。
しめ縄の中には、多くにお賽銭が挟まっている。
そして多くの参拝客がしめ縄に向かってお賽銭を投げ込んでいるのだ。
※必死にお賽銭を投入れている人の図
見事、投入れれば”おかげ”があるのだろうか?
僕もやってみる事にした。
第一投目、失敗。
簡単に出来ると思っていたのだが、投げる勢いが足らなかったのだろうか。
第二投目、また失敗。
勢いをつけて投げた僕のお賽銭は、せっかく挟まっていたお賽銭を見事に直撃
して、お賽銭1枚を落してしまった.....
第三投目、またまた失敗。
アチャ~......今度はお賽銭が2枚も落ちてきたぞ σ(^_^;)アセアセ... 。
家族は「せっかく、お賽銭入れた人が気の毒や!」と言うのだが、ここまで来て
引き下がる事はできない。
そして第四投目、ついに成功!!!
僕のお賽銭はしめ縄の中にしっかりと入っていったのだ!!!
但し3名分の投げ入れた賽銭を犠牲にしてしまった.....
3名のどこの誰か解らぬ方々よ!
皆様のお賽銭を落してしまって本当に申し訳ない!
しかしお賽銭は賽銭箱に丁重にお供えしたので心配には及ばないぞ!!!
大国主命
あの有名な『因幡の白うさぎ』である。
出雲といえばやはり出雲そば。
出雲大社周辺に詳しい人からの情報で行ったお店。
荒木屋
江戸後期から続く老舗の蕎麦屋らしい。
店内には『ひばり美空』のサインが!
主人はひばり美空のファンなのだろうか・・・
そして席に座り、ふと上を見上げると・・・
『ジャイアント馬場』のサインも!
主人は『ひばり美空』と『ジャイアント馬場』のファンなのだろうか・・・
まるで神座ラーメンのように、色々な有名人のサインがあったのだ。
200年以上続く老舗の蕎麦屋らしからぬ店内である。
割子四代そば。
四つに重ねられ、上からなめこおろし、卵、とろろ、そばのみ。
通常、そばを食べるということはあまり無いのだが、普通食べるそばに比べて
ザラザラ?した感じだったが、そばは甘くてたいへんに美味しかった。
ちなみに割子四代そばは”そばのみ”が一番美味しく感じられた。
しかし、この割子四代そばが¥1,380とは高過ぎるのではないだろうか?
香川なら¥1,380あれば『讃岐うどん』を5杯は食べられる。
そもそも、本日の高速の片道が¥1,700なのだ。
帰りに偶然に見つけた旅館、竹野屋。
出雲大社の近くにあるという噂は聞いたことがあった。
『竹内まりや』の実家である。
偶然にも連続して神社関係の記事になってしまった。
信仰心のない僕でも金毘羅宮や出雲大社はやはり素晴らしいと感じられた。
特にこの度訪れた出雲大社はさすがに日本の神道のルーツだけあって、独特
の神々しさを感じられたのだ。
さて、この出雲市内は街のあらゆるところに大国主命の絵が描いてある。
大国主命を見て思い出した事がある。
中学~高校生の頃、イエスというロックバンドに夢中になった。
以前の記事で書いた事があるが中学~高校の時代に僕が最も聴いたバンドで、最も
愛着のあるバンドだった。
また、このイエスのボーカルのジョンアンダーソンの衣装。
昔から大国主命の衣装に似ているように思っていたのである。
Yes / White Album
『初期のブートの名盤』としてブート盤屋でコピーCDのを売られている事がある。
しかし、実はブート盤とは違うのだ。
このアルバムはオランダの”OFFSHOREレーベル”の正規盤だったのだ。
僕が高校生の時はもう入手困難で、その当時血眼で捜したが見つからなかった。
何年後に中古レコード店でこの中古LPを見つけたのだ。
『高校時代、このLPを聴いたら涙もんだっただろうな~』と思う一枚なのだ。
LONG DISTANCE by YES(White Album 1972)
Yes / and you and I
]]>昨年は市川海老蔵、そして今年は中村勘三郎と人気役者が続くこんぴら歌舞伎。
今年はラッキーにも「第一部」「第二部」共にチケットを入手できた。
僕は観たことがないのだが、最近中村勘三郎は「コクーン歌舞伎」(古典歌舞伎の演目
を近代的な表現方法で演じる)が話題になっている。(具体的には麻さんの記事を! )
この度の「闇梅百物語」(傘オバケやノッペラボウ等の妖怪が登場する)という演目は
踊っているガイコツに蛍光色の様なブルーのライトを照らすという、コクーン歌舞伎を
連想させる、今までこんぴら歌舞伎では観た事がない様な演出もあった。
しかし、何を言っても今回の一番の見所は『俊寛』であった。
ストーリーは鬼界ヶ島に島流しになっていた俊寛、成経、康頼の3人に赦免船が到着
したのだが成経の嫁(千鳥)は乗船が許されない。
最終的に俊寛は自分の代わりに千鳥を船に乗せて一人が鬼界ヶ島に残るという話。
クライマックスでは仲間を乗せた赦免船を一人見送る俊寛の空しさや孤独感を勘三郎
が悲痛な表情で演じる。
そして最後に勘三郎は悟りの境地に達したような静かな表情で幕が閉じるのである。
正直、歌舞伎を観て目頭が熱くなったのは初めてである。
また、最後にサービス精神の旺盛な中村勘三郎は、歌舞伎では珍しくカーテンコール
をやったのである。
もちろん会場はスタンディングオベーションで盛り上がったのだった。
今年は「第一部」と「第二部」共に観る事が出来た為、今まで以上にこんぴら歌舞伎を
堪能することができた。
※中村勘三郎の奥様らしき人を発見!(会場の外にある中村家受付にて)
さて、この度の琴平の旅にはもう一つの目的があった。
それは金比羅宮の奥社に参拝することなのだ。
金比羅宮といえば、本殿までの785段の長い階段が有名である。
一般的には参拝はこの本殿で終了する人が多い。
しかし金比羅山にはこの本殿より583段先に奥社があるのである。
今年は奥社へ参拝するという目的があったのだ。
当日、琴平に着いたのが12時30分。
その日のこんぴら歌舞伎の開場は15時。
奥社への参拝時間は2時間がリミットである。
あらかじめ、ネットで奥社までの所要時間を調べたらまちまちなのである。
当たり前のことだが個人の体力の差によって全く所要時間は異なり、行きが50分という
人もいれば、のんびり2時間かかったという人もいる。
ちなみに特殊な例では年に一度、こんぴら石段マラソン(奥社までの往復)というイベント
があり優勝者のタイムは30分を切るらしい。
とりあえず、宿泊先の旅館に到着。
中庭が広い。
別荘タイプの部屋もあるがやはり料金が高い。
旅館の裏門から山道を通って金丸座まで行けるのだ。
この山道が実に気持ちいい。
一応、宿泊先の旅館のフロントのおばはんに奥社までの所要時間を聞いてみた。
蟹道楽 : 「参拝はどの位の時間がかかります?」
おばはん: 「そうですね、本宮参拝は約1時間半ですね。」
蟹道楽 : 「奥社まで行きたいのですが?」
おばはん: 「えっ、奥社までいくのですか?たいへんですよ!」
「まあ・・・(僕をシゲシゲ見ながら)、2時間半くらいですね~」
何だか、カチンと来てしまった。
おばはんは丁寧に応対していたが、口元が笑っていたのを僕は見逃さなかったのだ。
いかにも「あんたやったら、2時間半以上かかるデ~!」と言われた様に感じたのだ。
確かに僕は40代半ばでメタボに関してはイエローカードである。
しかし、ここ数年は少なからずとも定期的にスポーツジムに通っている。
「絶対に1時間30分以内で奥社参拝を実行!」
という固い決心で出発したのだった。
参道口から大門までの階段はお土産物や飲食店が立ち並びぶ金毘羅門前町を見ながら
階段登るせいか、急な階段も苦にならない。
しかし、この日は暑い日だった。
365段目の大門に着く頃には上着を脱ぎ、シャツも腕まくりをしていた。
それでも額から汗がひたたり落ちてくる。
この辺りから徐々にダウンする人の姿も目に付くようになってきた。
疲れて座り込む人の図。
ここにも精根尽き果てて『真っ白な灰になった人』が・・・
いやいや、これは参道にあるアンティークショップ売り物!
しかし何で金毘羅門前町にこんなお店があるのだろうか?
それにしても、このジョーが¥58,000とは!!!
また暴挙としか言えないが、ヒールの高いサンダル履きで参拝するおねえちゃん
がいたのだが、悲鳴上げながら涙目になっていた。(ナメとるとしかいえない)。
無事、本殿に到着!
お決まりの「幸せの黄色いお守り」を購入する。(本殿まで登らないと購入できない)
そして、ここからが奥社への入口である。
奥社への道にはいると雰囲気が一転した。
本殿までの人で賑わった階段とは違ってほとんど人影はない。
気温は下がり、まるでハイキングに来たかのような山道になるのである。
そのため、先ほどまでの暑さを感じることなく結構快適に登ることが出来るのだ。
しかし、僕は時間が気になり早足で階段を上がって来た為さすがに足にダルさを感じ
始めていた。
奥社までの道には、ほとんど人がいない。
たまに奥社から降りてくる人とすれ違えば「お疲れさま!」とか「もう少しですよ!」
と声を掛けてくれ、これが実に気持ちいいのである。
「奥社に行く」という共通の目的を共有しているせいか、奥社から降りてくる人達とは
フレンドリーな気持ちになり笑顔で挨拶ができるのだ。
そして、やっと奥社に到着。
合計1368段、標高421m。
やはり達成感に浸ってしまった。
奥社周辺はひんやりとしていて、空気がピーンと張っていた。
改装中の奥社は小さかったが、やはり神々しさを感じる。
奥社左の壁面にある2つの天狗の面。
左が鳥天狗、右が天狗だそうだ。
階段を登り始めて奥社までの所要時間は35分。
帰りは景色を楽しみながらのんびりと下りたのだが、本殿まで戻ると旅行会社の旗を
持ったガイドの大声、そして多くの観光客でごった返してた光景が妙に俗っぽく感じて
しまった。
のんびり帰った為、帰りの所要時間も35分。
結局、奥社参拝の所要時間は1時間10分だった。
僕もまだまだ若いやんか!!! (と、自分に言いきかせる!)
翌日の朝、フロントに昨日のおばはんがいた。
おばはん: 「おはようございます。参拝はいかがでしたか?」
蟹道楽 : 「奥社はやっぱり良かったです!」
おばはん: 「へぇ~、結局行かれたのですね。大変だったでしょう?」
蟹道楽 : 「結構快適でしたよ!往復1時間10分でした!」
おばはん: 「えぇっ?1時間10分???」
フロントのおばはんの驚いた表情を見て僕は再度達成感に浸ったのであった。
左が本宮で買った『幸福の黄色いお守り』、右が奥社で買った『お守り』
参考までにこの度、食べたうどん屋。
長田IN香の香
釜揚げうどんで有名なお店である。
しなやかなでコシの強いうどんはさすが釜揚げ最強店である。
しかし、それ以上に感じたのがダシつゆ!
このつゆだけでも十分にご飯が食べれるだろう。
岸井
会社の同僚に薦められていったのだが最近、人気が出てきているお店とか。
何とビニールハウスのお店である。
そして店内は実に怪しい雰囲気なのだ。
まさにビニールハウスの店内、小学生の落書きのようなメニュー。
同僚が強く推薦した、かけうどんを注文。
何と!これは美味い。
ほとんど醤油の色は着いていないつゆだが、十分にダシが利いてしっかりとした味なの
である。
あまりの美味さにつゆも全部飲み干してしまったのだ。
ただし衛生面に神経質な人では・・・・・
いや、讃岐うどんのディープな一面を感じるお店だった。
それから2,3年後、阪神大震災に襲われた。
幸いにも僕たちの被害は比較的に少なかったが仕事が大変になったのだ。
あの頃、確か2,3ヶ月は休み無く働いたように記憶している。
特にM課長は忙しく、神戸で倒壊を免れたビルの強度を調べるため1日中神戸の街
を歩き続けたのだった。
その仕事も一段落した頃からM課長は体調を崩してしまった。
最初は仕事の疲れで単なる過労のように思っていたが、日に日に状態が悪くなって
いった。
本人は嫌がったが病院で精密検査をしたのだが、結果は癌だった。
単身赴任のまま大阪で入院するより、東京に帰ったほうがいいという結果になり
東京に帰ることになった。
引越しの日、僕たちも引越しを手伝った。
作業はM課長の奥様と僕たちでほとんど荷物をまとめた。
M課長は具合が悪かったのだろう、静かに椅子に座っていた。
荷物の梱包も終わり、M課長と奥様に挨拶をして部屋を出て行ったのだが、奥様
が外まで送ってくれて「必ず良くなって帰ってきます。その時はまた、よろしく
お願いしますね。絶対に戻ってきますから・・・」そう言って涙ぐんでいた。
しばらくして、手術をした後のM課長と電話で話しをした。
いつもどおりの”べらんめい口調”で元気に話すM課長。
僕は「元気じゃないですか!良かったですね!」と言うと、M課長は明るく笑い
ながら言った。
「癌っていうのは一度は奇跡の生還をするんだよ。これからが勝負だ!」
その何ヶ月か後、M課長の容態が悪化して再入院しているということを聞いた。
そして僕たちは東京までお見舞いにいった。
僕たちは病室に入ってベッドで寝ているM課長を見て驚いた。
あの元気だった面影はなくなり、やせ細った体は以前の三分の二位に小さくなった
ように見えた。
しかし僕らを見たM課長は「おう!よく来てくれたな!うれしいよ!」と大きな
声で呼びかけてくれるのだ。
しかし無理しながら喋っていたのだろう、その後はあまり会話も続かなかった。
それから4ヵ月後、M課長は亡くなった。
忌野清志郎が癌で亡くなった。
以前も書いたことがあるが、RCサクセションや山下達郎は高校時代、洋楽しか
興味を持たなかった僕に、日本のポピュラーミュージックの素晴らしさを教えて
くれたミュージシャンである。
特に80年代のRCサクセションのアルバム『シングル・マン』、『RHAPSODY』、
『PLEASE』、『BLUE』そして当時はカセットテープのみ発売だった『Yeahhhhhh
...at武道館』等については最近でもよく聴くアルバムである。
中でも『RHAPSODY』の完成度の高さは、日本のROCKアルバムで最も優れた
アルバムだと思っている。
清志郎は、療養のため活動を休止していたのだが、昨年2月には日本武道館で
「忌野清志郎 完全復活祭」というコンサートで復帰した。
僕は”清志郎も復活して良かった!”と喜んでいたのだが、約半年後に癌の再発と
いう発表があった。
その時、僕は当時のM課長の言葉を思い出してしまった。
「癌っていうのは一度は奇跡の生還をするんだよ。これからが勝負だ!」
残念ながら、悪い予感通りになってしまった。
近年の忌野清志郎としてのアルバムはあまり聴いていなかったが、やはり僕として
は忌野清志郎の”あのボーカルが聴けない”という事は残念で仕方が無い。
高校時代に観たRCサクセションのコンサートで過激な発言をしながらも、恥ずかし
そうにテレ笑いをする清志郎の純粋な表情が今でも印象に残っている。
ラプソディー / RCサクセション
僕は最近、このアルバムをよく聴いている。
僕が高校生の時、U2はデビューした。
デビュー当時、僕のU2のイメージは『パンク系の兄ちゃん達』だった。
当時、僕はエッジのギターの音が魅力的でU2を聴いていたが、特別に思い入
れのあるバンドではなかった。
僕がU2にハマったきっかけはブライアンイーノのプロデュースした4枚目の
アルバム『The Unforgettable Fire』。
この『The Unforgettable Fire』の発売前、アルバムのプロデューサーが
ブライアンイーノという記事を見て我が目を疑った。
ブライアンイーノは初期のROXY MUSICの立役者。
ROXY MUSICを脱退してからは主にアンビエントミュージック(環境音楽)界
に進み、今では重要なミュージシャンとなっている。
昔、ブライアンイーノのインタビューで印象的な記事を読んだ事がある。
記 者 : イーノさんはROCK系の音楽とは遠ざかっていますが?
イーノ : 現在のROCKとは・・・
(イーノは手で机を『バン!バン!バン!』と3、4回叩いて・・・)
このような音楽である。
私はこのような単調な音楽には興味が全くない!
そういう内容のインタビューだったと記憶している。
そのイーノがU2という、パンクまがいのバンドのプロデュースをする事の
イメージが全く出来なかったのだ。
しかし、結果として『The Unforgettable Fire』でイーノはU2の持ち味を
最大限に生かしたスケールの大きな音の空間を作ったのである。
イーノのプロデュースにより、この頃からU2のサウンドは緻密な音になり
飛躍的にスケールが大きくなったように感じたのである。
U2 - The Unforgettable Fire
イーノはやっぱり凄い!と感じたこの曲。
僕はU2の中ではこの曲が一番好きだ!
※(ちなみにエッジがイチローに見えてしまうのは僕だけか・・・)
続いて5枚目のアルバム『The Joshua Tree』は『With Or Without You』
のヒットもあって世界中で大ベストセラーになった。
このアルバムもイーノのプロデュースらしく音の空間を最大限に生かした実に
美しいアルバムだった。
僕にとってU2の魅力は”心地よさ”なのだ。
U2のサウンドはハードだが、僕にとっては”α波が出る心地よいサウンド”に
感じるのである。
これはやはりアンビエントミュージックを知り尽くしているイーノならではの
技ではなかろうか。
4年ほど前にリリースした『How to Dismantle an Atomic Bomb』
はデビュー以来のプロデューサーであるスティーヴ・リリーホワイトによる
ストレートなロックアルバムだった。
How to Dismantle an Atomic Bomb
特に1曲目の”Vertigo ”はデビュー当時のU2を彷彿させるハードな演奏で
パンクロックの様である。
U2 - Vertigo
やはりパンクのDNAが息づいていたと感じた曲
この『Vertigo』を聴いた瞬間は『おおぉぉぉ~!』これは凄い!と感じたのだが、
アルバム全体としては何だか物足りなさを感じてしまった。
この度のニューアルバム『No Line on the Horizon 』は久しぶりにイーノが
参加している。
この間も『Achtung Baby』や『All That You Can't Leave Behind』といった
アルバムでもイーノがプロデュースに参加しているのだが、今回のアルバム
のほうが『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』の頃のU2の
サウンドに近いような気がする。
このニューアルバムには”α波が出るような心地よさ”があるのだ。
特にイーノのプロデュースによってエッジのギターが一段と美しく感じるの
である。
僕の中ではデビュー当時のU2は『怒れる兄ちゃん達のパンク系バンド』の
イメージだった。
しかし、いまや世界に名だたるスーパーバンドであり、またインテリバンド
になったのである。
この転換期になったのが、4枚目のアルバム『The Unforgettable Fire』で
あり、このアルバムのプロデューサーであるブライアンイーノの存在だった
ように感じるのである。
U2 - Magnificent (Live - Night 2 - Letterman)
今回のアルバムで最もイーノのプロデュースを感じた曲
ちなみにブライアンイーノの作品。
僕は昔から凹んだ時やストレスの溜まった時、就寝前のこの曲を聴くと
気分が落ち着いて眠れるのである。
The Plateaux of Mirror /Harold Budd & Brian Eno
ハイエンドオーディオショーで聴いたフォノイコライザー『C-27』。
アナログ独特の暖かさを持ちながらも、まるでCDのようなシャープな音!
これまで自分のシステムは、アナログらしい『ぽっちゃりとした柔らかな音』
だと満足していた。
(音のイメージ①)
ところが、あのオーディオショーからは『ぽっちゃりとした柔らかな音』が
『ぜい肉が付いた締まりの無い音』の様に感じるようになってしまった。
(音のイメージ②)
僕のシステムとオーディオショーで聴いたシステムを同じ土俵での比較する
などおこがましいのは重々承知なのだ。
圧倒的な価格差があるし、ましてや相手はプロのセッティングである。
しかし、現在の僕のシステムの音の方向性は正しいのだろうか?
今までアナログの良さは『柔らかさ や 中域音の厚み』だと感じていた。
しかし、あのハイエンドオーディオショーで聴いた『シャープな音』が忘れられ
なくなったのである。
現在使っているオルトフォンのカートリッジには揺るぎない信頼を持っている。
すると『締まりの無い音』の原因は、やはりと言うかフォノイコライザーという
結論にしてしまったのだ。
現在のフォノイコライザーは某メーカーの真空管式のものである。
僕がフォノイコライザーを真空管式に決めた理由は、真空管特有の”柔らかさ”
や”中域音の厚み”でアナログらしさを際立たせるためだった。
しかし『この選択が間違っていたのでは?』と考えるようになったのである。
かといって、おいそれと『C-27』(¥525,000)を購入することなんて出来ない。
また、僕は簡単に今のパートナー(現在、使用の真空管フォノイコライザー)を
捨てる事が出来ないのである。(情の厚い男 蟹道楽!)
ズルズルと決定的な別れ話が出来ないまま、悶々と過ごした3ケ月。
ある日、オーディオ雑誌でCECのPH-53という機種に興味を持ってしまった。
CECは日本では数少ないオーディオ専門メーカー。
地味だが堅実なオーディオを発売しているので昔から気になっていたメーカー
なのだ。
この機種で特に引かれたのがバランス接続が出来るということ。
バランス接続用ケーブル(XLR端子)
一方、一般的なアンバランス接続用ピンケーブル(RCA端子)
オーディオマニアではバランス接続は余分に回路が増えてマイナス面が多いので
嫌う人も結構いる。
しかし、僕はバランス接続を信仰している。
『CD⇒プリアンプ⇒パワーアンプ』とバランス接続で統一しているのだ。
魅かれ始めて約三週間。
①CECの製品
②価格がリーズナブル
③そしてバランス接続が出来る!!!
この3点により僕の気持ちは決まったのである。
さよなら、真空管式フォノイコライザー。
君と過ごした日々は忘れない。
PH-53と仲良くなれなかったら戻ってくるから!(情の厚い男、蟹道楽!)
ということで、新しいパートナー(PH-53)を迎えたのだった。
早速、接続!
接続はアナログプレーヤーとフォノイコライザーがアンバランス(RCA)接続。
そしてフォノイコライザーとプリアンプがバランス(XLR)接続になった。
そして出てきた音は・・・・・
なんじゃ、これは!
(音のイメージ③)
これはひどい!
ガリガリの骨と皮だけで全く色香のない音!
しかし、新しいオーディオは設置した瞬間に100% の実力をだすとはいえない!
新車と同じように『ならし運転』が必要で、とりあえず一週間は様子見の期間と
なるのである。
彼女(PH-53)も見知らぬ地に来て緊張しているのだろう。
しかし、ここまで色気のない音が良い方向へ変化するのだろうか?
この新しいパートナーは僕の好みではないのではなかろうか・・・
と一抹の不安を感じたのだった。
一週間もすると『ならし』やセッティングの改善等の成果もあったのか、嫁に来た
PH-53の緊張が解けてきて、僕に近寄ってきたのである。
音にだんだん肉付が良くなってきたような気がしてきたのだ。
また、以前の真空管フォノイコライザーに比べて繊細な音がするのだ。
二週間目にはPH-53は確実に質の高い音に感じてきた。
(音のイメージ④)
かと言って”100%満足か!”というと世の中そうともいかない。
PH-53は以前の真空管に比べてバスドラムやベースのボリューム感が少ない様に
も感じるのである。
ある日、ネットで興味深い記事を見つけた。
PH-53はあくまでバランス接続を前提にしている。
特にレコードプレーヤーとPH-53の接続をバランスケーブルにすることで、全く
別の次元の音に変わる!というのだ。
今、僕のPH-53とプリアンプの接続はバランス接続だが、レコードプレーヤーと
PH-53の接続はピンケーブル(アンバランス)で接続している。
調べてみるとCECはPH-53用にレコードプレーヤーとのバランス接続用の特殊な
ケーブル(入力側がRCA端子で出力側がXLR端子)を販売しているのだ。
しかしこれが高価なのだ。(定価28,350円)
『別の次元の音に変わる』という事もネット上での記事である。
正直、マユツバな気がして100%信じるには至らない。
ただし『別の次元の音』というのは聞き捨てならない!
ぜひとも試してみる価値があるのだ!
しかし、RCA端子とXLR端子のケーブルなど普通に売ってはいない。
約3万円のCEC製の純正品を買うか、特注で作ってもらうしかないのだ。
しかし、自作なら日本橋のパーツ屋で三千円ほどで材料は揃うはず!
ということでケーブルを自分で製作したのだった。
そして、自作ケーブルで試聴!!!
・・・・・・・・・・・・
音が出ない・・・・・
フォノイコライザー本体にバランス接続の特別な設定があるのだろうか?
僕は大雑把な性格のため、説明書というのは全くと言っていいほど読まない。
今回は珍しく説明書を読むと、説明書にはケーブルの配線図面が丁寧に明記
されていた。
僕はアースも接続したが、配線図によるとRCA端子側にはアースは接続しては
いけないようだ。
ということで作り直し。
素人が作ったものでやり直しをした為、雑なハンダ処理になってしまった。
これがまた音質面でのマイナスになるのだが、とにかく音を出したい!
そして再度接続!
そして試聴!!!
やった~! 成功や! 音が出た!
と普通なら喜ぶのだろうが、そう感じる暇もなかったのだ。
なんじゃ、これは!!!
これ、レコードの音か!!!!!
今まで聴いていたレコードの音と全く感触の違う音だった。
暖かみは少ないが、シャープで肉付きのよい音が出てきたのである。
(音のイメージ⑤)
これはいい!
余分なゼイ肉は無く締まった音だが、メリハリのしっかりしたグラマラスな音!
しかも色気もある!
メーカー側がバランス接続を強く推奨しているのが納得できたのだ。
最近発売されたLPで松尾明のMelancholy Seranadeを聴いた。
A面2曲目イントロでのベースソロも以前に比べて、ズッシりと低い位置から
ガッツのある音に変わったのである。
Melancholy Seranade [12 inch Analog]
そうなると、以前の僕のシステムはどのような音だったかを検証してみたくなる。
僕は以前使っていた某真空管式フォノイコライザーに戻してみた。
結果は・・・・・
(音のイメージ⑥)
僕と真空管式フォノイコライザーとの関係は完全に終わってしまった。
十分に愛着があった真空管式フォノイコライザーだったのだが、価値観が変わる
と全く興味がなくなったのだ。
オーディオも恋も似たようなものである。
『アバタもエクボ』、まさしくその通りなのだ。
さめてみれば、『何故、あんなに熱中したのだろうか?』と自問自答してしまう。
実はこの度のPH-53も一過性の恋のようなものかもしれない。
しかし、僕にとって新たに進むべき方向性が見えてきたのだ。
アナログは努力をすればするほど応えてくれるシステムである。
時間をかけてセッティングから詰めていき、徐々に雑なつくりの自作ケーブルも
見直していくつもりだ。
今の音も、満足度は高いのだがあくまで通過点にすぎない。
もっと『グラマラスでありながら締まった筋肉質の音質』を目指すのである。
(目指す音のイメージ⑦)
追伸 : やはり同じCDとレコードを聴き比べたくなる。
しかし、昔のジャズのCDは何度もリマスタリングされているのでCDとLPの
音が別物になっていることが多い。
10年ほど前、同時に発売されたCDとレコードの比較をすることにした。
山下達郎 / COZY
(左にあるCDは発売当時、クリスマス限定ジャケットとして発売された
ジャケ違いのCOZY。今や結構レアアイテムかも?)
このイコライザーに換えて『CDに近い音』になったと思っていたが、やはり
レコードはCDとは全く別の音なのだ。
改めてレコードの魅力を感じたのだった。
薄暗いステージに JEFF BECK が現れた。
高まる気持ち!
なんといっても約4年ぶりのコンサートである。
そしてスポットライトが JEFF BECK を照らした瞬間!!!
”笑ってしまった”
昔からJEFF のファッションセンスは???だったのだが・・・
ブーツ姿の JEFF BECK は首からスカーフを巻き、ズボンの後ろポケットの
あたりにはタオルのようなものが見え隠れしている。
お洒落な若い衆だと良く似合っているのかもしれない。
しかし、JEFF がこのような格好をすると・・・・・
『スカーフは手ぬぐい』で『ブーツは地下足袋』にしか見えない。
つまり『土建屋のおっさん』か『明るい農村』といった風貌なのだ。
しかし、オープニングの『Beck's Bolero』が始まると『土建屋や明るい農村』
のイメージは吹っ飛んでしまった。
64歳の JEFF は若々しくポジティブで刺激的な”ロックの音”を聴かせてくれる。
JEFF 特有のアームとスライドを多用した音はギターの領域を超えた音で今更ながら
あのハーモニクスの美しさは神業の領域と感じるのだ。
今回のコンサートのもう一つの見所はベーシストの”TAL WILKENFELD”
一見、女子高生に見えるほどオボコい顔をした若干22歳の女の子。
今や彼女は『中年ロックおやじ達』の間では”タルちゃん”とよばれアイドルに
なっているのだ。
ベース歴4、5年で22歳の彼女は、その外見とは裏腹に Chick Corea やこの度の
JEFF BECK のツアーに抜擢された天才少女なのだ。
ジャコの影響されたという彼女のベースの音色はジャコに通じるものを感じるが
ジャコのように”アク”の強い演奏ではなく、きっちりとリズムを刻む演奏だ。
その”タルちゃん”は演奏の合い間にステージにべったり座りこむのである。
その姿は正に駅やコンビニの前で地べたに座っている日本の若者達のようだ。
この世代の若い衆は世界的に地べたに座り込む習性があるのだろうか?
ステージでのタルちゃんは JEFF 以下、全メンバー達から我が娘のように可愛がら
れている様子がほのぼのとした印象的だった。
もうひとつのリズムセクションのドラムの VINNIE COLAIUTA は4年前のコンサート
のメンバーだったが、前回同様にシャープで圧倒的なパワーの演奏である。
やはりリズムセクションでコンサートの良し悪しが決まるのである。
ただ、残念に感じたのがキーボードの David Sancious。
元気がないというか、地味というか、音楽性が合ってないというか・・・
はっきり言って、他のメンバーの演奏についていけてない印象が否めなかった。
同じキーボードでも4年前の来日コンサートの Jason Rebello のような演奏を
望むのは無理だったのかもしれない。
また、音響についても低音をブーストし過ぎて本来のベース音がはっきり聴き取り
難いと感じたのである。
とはいえ、今まで観た JEFF BECK のコンサートで今回が最も JEFF の調子(ノリ)
が良かったように感じる。
とにかく、一曲に占めるアドリブの比率が非常に高いものだった。
特に『LED BOOTS』と『Blue Wind』は今までコンサートで聴いた中で最もハードで
エネルギッシュな演奏だった。
若い世代がメンバーに入る事によって、演奏も若返ったのかもしれない。
1時間35分のコンサートは短く、夢見るように終わってしまった。
コンサートは以前、記事で紹介したストーンズマニアのエロ坊主と観にいった。
ギターマニアの坊主はJEFF の演奏が終わるごとに、ひとり言をいっていたのだ。
『んん~ん・・・ワシにはあんな音が出されへん!』 (当たり前である!)
『ああ~ぁ・・・何であんなギター弾けるんやろか?』 (あんたに弾ける訳ない!)
と感動しているみたいだった。
コンサート後、坊主はCDを購入していた。
JEFF の演奏に酔っていた坊主!
僕はてっきり、JEFF のCDを買ったのだと思っていたが・・・・・
坊主の買ったCDは『タルちゃん』のCDだった。
この日のセットリスト
01. Beck's Bolero
02. The Pump
03. Eternity's Breath
04. You Never Know
05. Cause We've Ended as Lovers
06. Behind The Veil
07. Blast From The East
08. People Get Ready
09. Stratus
10. Angel
11. Led Boots
12. Nadia
13. Space Boogie
14. Goodbye Pork Pie Hat / Brush with the Blues
15. Blue Wind
16. A Day In The Life
=encore=
17. Where Were You
18. Big Block
19. Scottish One
20. The Peter Gunn
コンサートでは最も盛り上がる”Big Block"(今回も盛り上がった!)
キーボード以外は先日のコンサートと同じメンバーでの演奏。
もちろん、ベースはタルちゃん!
Jeff Beck / Big Block
その日、僕は急いでいた。
中国自動車道を岡山から大阪に向けて元気に走行中の時だった。
この先の宝塚は渋滞エリアである。
渋滞に備えて空いている道で時間を稼ぎたかったのだ。
ふと、ルームミラーに一台の迫り来る黒色のスカ●ラインが映った。
しかも、天井には『赤くクルクル光る』サイレンが・・・・・
あちゃゃゃ~
図られた!!!
いわゆる”覆面●トカーだったのだ。
昔の覆面といえばクラウンやセドリック等の高級車なのだが、何故かホイールは
黒の鉄チンホイールが装着されていて、いかにも”怪しいオーラ”を放っていたの
だが、この頃から状況が変わってきた。
嗚呼、何と言う事だ!
この道路は走り慣れていて覆面の宝庫という事を十分に認識しているのに気を
抜いてしまったのだ。
パ●カーはスピードダウンした僕の車を追抜き、僕をその先のパーキングエリア
に誘導したのである。
『頭を下げよう!』
『低姿勢を貫こう!』
『土下座でもしまっせ!』
『何とかなるなら100回でも頭を下げようではないか!』
そして・・・・・
『売られていく子牛のように、悲しげな瞳で対応するのだ!』
(自称 : ドナドナ戦法)
・・・という気持ちで交渉?にのぞんだのだった。
こちらは”完全降伏”という事をはっきり伝えなければならない。
僕は高速隊の二人に対して”米つきバッタ”のように頭を下げたのだ。
以下、パ●カーの後部座席での会話。
蟹道楽(以下『善』と表記する) : すんません!すんません! <(_ _)><(_ _)>
高速隊(以下『悪』と表記する) : そんなに謝らないでください。
『善』: すんません!すんません! <(_ _)><(_ _)>
『悪』: もう、ええから・・・
『善』: すんません!すんません! <(_ _)><(_ _)>
『悪』: これを見てください、あなたこの速度で走ってましたよ!
(ダッシュボードの速度計が1●2キロを表示していた)
『善』: すんません! <(_ _)> 急いでいたもんで・・・すんません! <(_ _)>
『悪』: あのねぇ~ みんな急いでいるから高速走っているんですよ。
『善』: 今日は特に急いでいたので、すんません!すんません! <(_ _)><(_ _)>
『悪』: んんん・・・・・(そして2人がボソボソと小声で喋っていた)
『善』: すんません!すんません!すんません! <(_ _)><(_ _)><(_ _)>
『悪』: まぁ・・・あなたは・・・
今日は110キロで走っていましたね・・・
110キロでエエですわ・・・・・(以下、『良』と表記する)
『善』: えっ! ほ、本当ですか!!! ヽ(゚∀゚)ノ
ほんとうにありがとうございます!・゚・(ノД`)・゚・
『良』: ありがとうって・・・まぁ・・・以後、気をつけて下さいよ・・・
『善』: 真に申しわけございません!本当にご迷惑をおかけしました。
『良』: それでは安全運転をお願いしますね。
作戦成功! いや、誠意が伝わったのだ!
やはり人間生活上、誠意は重要なことである。
何といっても、この22キロは大きいのである。
110キロ(高速30キロ超過)なら違反点数が3点。
一方、1●2キロ(高速52キロ超過)なら違反点数が12点で免停になるのだ。
ありがたや、ありがたや。
確かにこの日は急いでいたのだが、BGMも悪かった。
この時、AC/DCをカーステレオで聴いていた。
AC/DCのドライブ感は実に高速道路の走行によく合うのである。
そのため、気持ちよくアクセルを踏み込んでしまうのである。
ROCKに関しては硬派だった中学生の頃はAC/DCが大嫌いだった。
このような下品なジャケットが許されなかった。
またジャケットもタイトルもふざけている。
「ギター殺人事件」
それにもまして、ギターのアンガスヤングのランドセルに半ズボンルックスでギターを
弾くスタイルが受け入れられなかったのである。
しかし、高校生になって偶然聴いたAC/DC。
軽快なロックンロールはたいへんに気持ちが良かったのだ。
先日、昨年10月に出た新譜を聴いた。
このバンドは30年前のアルバムも、この度の新譜も全く変わらないほどスタイル
が確立されているのだ。(ワンパターンともいえる)
スタイルが完璧に確立されているといえば、ストーンズである。
しかし、ストーンズは各時代(流行に合わせ)によって音の感触が異なるのである。
しかし、このAC/DCは30年以上前のデビューアルバムから新譜まで、音の感触
が全く同じなのだ。
これはワンパターンということ以前に凄いことだと思う。
AC/DCはデビュー以来の”確立したスタイル”を武器に、生き残ってきたのだろう。
高速走行には持ってこい!のAC/DC!
しかし、CDに注意書を明記してもらいたいものだ。
『あなたの免許を失う恐れがありますので車での鑑賞には注意しましょう』
HIGHWAY TO HELL / AC/DC
やはりAC/DCのボーカルはBon Scottがいい!
しかし、1980年に泥酔して寝たままゲロを喉に詰まらせて死んでしまった。
気をつけなければ・・・・・
変わらない近年の演奏!
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オープニングの瞬間の緊張感や高揚感!
あの感覚がある限りコンサートはやめられない。
レコードを自由に買えなかった学生の頃、好きなミュージシャンの新譜を購入して
レコードに針を落とす時、コンサートほどではないが緊張感や高揚感があった。
以前にも書いた事があるが大人になり、ある程度自由にCDを買えるようになって
一枚のアルバムの『ありがたみ』が薄れてしまった事と同時に自分の感性が鈍って
きたのかもしれない。
思い入れの強いミュージシャンでも以前ほど、ニューアルバムを聴いて心ときめく
事も少なくなってきたようだ。
Keith Jarrett のニューアルバムを発売日に購入した。
Yesterdays / Keith Jarrett
僕にとってKeith Jarrett は常にニューアルバムを待ち望むミュージシャンの一人
である。
ニューアルバムを聴く度に「素晴らしい!」と感じるのだが最近のアルバムは以前
ほど、気持ちの高揚感が感じられないように思っていた。
しかしこの度のニューアルバム『Yesterdays』は見事に”来た!”のである。
アルバム1曲目の『Strollin' 』。
CDの再生ボタンを押して23秒後!久しぶりに”あの高揚感”をあじわうことが
出来たのである。
『Strollin' 』はジャズピアニストの Horace Silver の名曲である。
Horace Silver はもっともブルーノートらしいミュージシャンでファンキージャズ
の代表的なピアニストである。
Keithはこの対極的とも思われるミュージシャンのファンキーな原曲の魅力を全く
失わせる事なくKeithならではのフレーズで演奏しているのである。
1曲目良ければ全てよし!
コンサートでもアルバムでも1曲目の印象というのは本当に重要である。
1曲目で魅きつけられると、それ以降の期待度も増して聴く気合も変わってくる。
このアルバムは2001年4月の東京公演を収録したライブ盤である。
Keithが慢性疲労症候群という難病を克服して復帰後の公演である。
この頃からKeithの演奏は、80年代の演奏のように極限まで研ぎ澄まされた
演奏に比べて肩の力が抜け、リラックスした演奏のように感じるのだ。
この『Yesterdays』は久しぶりに一気にCD全曲を聴き通したアルバムだった。
ただし一つだけ、気になるところがあった。
アルバムの最後にボーナストラックとしてオーチャードホールのサウンドチェック
用の演奏『Stella By Starlight』が収録されているのである。
非常に貴重なトラックである。
しかしライブアルバムにこの様な異質なトラックを収録して欲しくないのだ。
ライブアルバムはやはりライブで終結してもらいたい。
アルバムとしてのトータル性を考慮して欲しいのである。
ECM(レコード会社)もその辺の事を考慮したのか、このボーナストラックの前
に約15秒の無録音状態をつくっている。
それなら価格アップしてもボーナスCDとして収録して欲しかったものだ。
とは言っても、このサウンドチェック用トラック『Stella By Starlight』は興味
深い演奏である。
Keithの『Stella By Starlight』といえば1985年の名盤『Standards Live』
のオープニングを飾る名演がある。
先に書いたようにKeithだから成し得た極限まで研ぎ澄まされた演奏である。
この度のサウンドチェック用のトラックは、これとは対照的な演奏で良し悪しは別
にしてKeithのリラックスした演奏が聴けるのである。
うれしいことにこの度はアナログも発売される。
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りくろーのチーズケーキは難波や梅田で買っていたが最近、三宮そごうに出店した
ため神戸でも買えるようになった。
しかしデパートの地下の小さな店舗のため、タイミングにもよるが難波店のように
いつでも焼きたてを購入する事は出来ない。
(結局、家に持って帰れば冷えているのだが・・・)
そのついでに久しぶりにタワーレコード神戸店に行ってきた。
以前、神戸店は三宮センター街あったが、駅前のテナントビルに移転してからは
一度も訪れたことがなかった。
僕が初めてタワーレコードに行ったのはタワーレコード渋谷店。
大学受験で上京した時の事、現在の渋谷店とは違いの渋谷のセンター街を抜けた
宇田川の店舗だった。
その時は輸入盤専門店として店舗の広さとLPの多さに驚いた。
そして黄色と赤でデザインされたロゴのネオンやレコード袋、また店舗の隅に山積
された輸入盤のダンボール箱の光景にアメリカを感じたものだった。
僕は大学生になり東京に住むようになってからは、週に一度はタワー渋谷店に通う
ようになった。
そのためにバイト代の半分以上がレコード代で消えていった。
この頃、僕はタワーレコードで気になっていた事があった。
レコードの量は多いがあまり整理がされていなかったのである。
ある日、タワーレコードのバイト募集の張り紙を見つけた。
「そうだ!タワーレコードでバイトをしよう!」
「そして、売り場を整理するのだ。」
「趣味と実益が一致した魅力的で理想的なバイト先ではないか!」
そう考えた僕は面接に行ったのだが、時給の安さと週6日の勤務という労働条件
でタワーレコードのバイトを断念したのだった。
考えてみればタワーレコードとは長い付き合いである。
そもそも、今でも”レコード”という名前が残っていることに愛着を感じる。
そう、あの頃は『レコード屋』と呼んでいた。
僕が学生時代は東京にしかなかったタワーも今や全国津々浦々に店舗がある
ということは、たいへんにありがたい。
僕はかなりマイナーなレコードやCDは行きつけのジャズ専門の店で購入している
がそれ以外のものは大体、タワーレコードで購入してきた。
また、僕の場合は一般の人に比べると少々マイナーなCDを買うため、ある程度の
品揃えの店舗でなければ店に入る気も薄れてくるのである。
そのような事もあり、タワーレコード神戸店には立ち寄る機会も少なかったのだ。
新しい神戸店は以前よりスペースは広くなったが梅田店や難波店にはかなわない。
品揃えも以前よりは良くなったが、『当たり前のCD』(大型店として揃えているのが、
当然のCD)を揃えるだけで精一杯といった感じである。
ところで、新しい神戸店にはラウンジスペースがあった。
神戸のCDショップとしては一番広いのだろうが、梅田店や難波店のような大型
店舗に比べるとやはり狭いスペースなのだ。
ラウンジスペースでお洒落な演出をしたいというのも解らないではない。
しかし僕にとってタワーレコードといえば、学生時代の渋谷店のように雑踏とした
中でLPが大量に置かれている無骨でアメリカ的なイメージのほうが落着くのだ。
また、神戸店はタワーにとって地方店の一つかもしれない。
しかし、地方店といえども神戸の店なのだ。
小さくても特徴のある(神戸らしくJAZZの品揃えを充実した)店にするとか・・・
ぜひとも、頑張ってほしいものである。
ということで、『当たり前にどこでも売っているCD』を買って帰った。
Five For Fun / High Five (High Five Quintet)
スイングジャーナルのゴールドディスク選定盤である。
とはいえ、スイングジャーナルのゴールドディスクに選定されなかったらマイナー
なイタリアジャズのCDとして扱われたかもしれない。
ヨーロッパ系ジャズといえば繊細である種、”静か”な演奏が多い。
しかし、このバンドはファンキーなハードバップを演っているのである。
また、時折ヨーロッパ特有の哀愁感漂うメロディーも聴かせてくれるのだ。
特に2曲目の”Ojos De Rojo ”のサックスのフレーズは僕好み!
このアルバムはJAZZをあまり聴いていない人も楽しめるアルバムだと思う。
現在、この日本盤CDは期間限定特別価格盤として¥1,980で売られている。
タワーの手書きのPOPには『特別価格!輸入盤より日本盤のほうがお得ですよ!』
と書かれてあった。
さすがに、輸入盤店らしいPOPだった。
今年もよろしくお願い致します。
皆様のおかげで昨年一年間もブログを続ける事ができました。
昨年、特に後半についてはバブル崩壊の時でも、あじわった事のない不況で
我々の働く民間企業は大混乱となっております。
とはいっても、今こそ前向きな気持ちを持たなければいけませんね。
今年も一年、皆様と明るい話題と元気を共有していければ、と思っています。
さて、昨年の年初はキースジャレットの日本公演の記事から始まりました。
今年は・・・・・
JEFF BECK JAPAN TOUR 2009
僕がもっとも思い入れの強いROCKミュージシャン JEFF BECK です!
昨年のキースに引き続きなんと幸運なことでしょうか!
前回、僕が観たコンサートは2005年、この時も大阪厚生年金大ホールでした。
その時の特に感動した曲が『TWO RIVERS』。
この曲は『Guitar Shop』という名盤に収録されています。
最近は、自分の観たコンサートの高音質ブートレッグ盤が手に入ることがあります。
以下は僕の観たコンサート、2005年7月9日の感動の『TWO RIVERS』です。(ブートレッグ)
さて、今年が皆様にとってよい年になりますように!
また今年もどうぞご贔屓に!!!
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先日12月27日、山下達郎のコンサートにいった。
僕は最後にもう一度大阪フェスティバルでコンサートを観ることが出来た。
以前の記事で山下達郎は「大阪フェスティバルホールを壊すことはカーネギーホール
やオペラ座を壊すことと同じようなもので愚行である。」と言った事を書いた。
この日のコンサートで達郎は「ニューアルバムを発売していないのに全国ツアーをする
のは、大阪フェスティバルのクローズという事で決定した!」という事を言っていた。
もともと達郎がメジャーになったのは70年代後半、”BOMBER”が大阪のディスコで
ヒットしたのがきっかけだった。
達郎自身は大阪の地とフェスティバルホールには特別の思い入れがあるらしい。
そのためコンサートでは、フェスティバル関係者に対して「バカ!」を連発していた。
達郎 :「この会場を壊すなんて、バカですよ!」
蟹道楽: 全くその通り!
達郎 :「41階の高層ビルにするらしいとか!ゼネコンの言いなりになって!」
蟹道楽: ・・・(僕の立場として、これには何ともコメントできない・・・)
この度の全国ツアーは「RCA/AIR YEAR スペシャル 2002 ツアー」から
6年ぶりのコンサートである。
僕は80年代から達郎のコンサートは必ず観てきた。
もうすぐ56歳の達郎は80年代のようにぶっ続けで4時間以上のライブというのは
さすがにやれなくなったのだろう。
コンサートでも”トークによる間”をとることが多くなった。
ライブは”SPARKLE”で始まりイントロのテレキャスターのギターに酔いしれる。
後半の”LET'S DANCE BABY”では観客がみんなでいっせいにクラッカーを鳴らす。
最後の”RIDE ON TIME”は達郎がステージ後方よりノーマイクでシャッフルする!
そしてアンコールの最後はソロによる”YOUR EYES ”で感動のエンディングとなる。
まるで『水戸黄門の印籠による結末」や『最後は勝利するウルトラマン』の様な日本人
好みの”おきまり”の安心感や期待感がある。
コンサートで達郎は「僕はどのようになろうと、絶対にディナーショーはやりません」
と言っていた。
数多くのヒット曲を”懐メロ”には絶対にしないという。
「パッションがあれば、昔の曲も絶対に”懐メロ”にはならない!」
達郎がこの度のコンサートで強く言っていたことだ。
最近の山下達郎のアルバムについて個人的には以前とは違ってパワーダウンしている
様に感じてしまうがライブの達郎は違うのである。
僕が二十数年間、達郎のコンサートを楽しみにしているのは、けっして懐メロではなく
達郎には”パッション”があり続けるからなのだ。
いつもどおりの山下達郎ワールドに魅き込まれた3時間。
全21曲のコンサートはあっと言う間に終わってしまった。
6年ぶりの全国ツアー。
次の達郎のコンサートは何年後だろうか?
6年後なら達郎は還暦を過ぎているし、僕も50歳を超えてしまう・・・
そう思いながら心地良い余韻で最後の大阪フェスティバルホールを後にしたのだった。
大阪フェスティバルホールでの最後のコンサートが山下達郎というのは幸運でした。
今年はこれが最後の記事です。
この一年間、皆様にはお世話になりありがとうございました。
それでは皆様、良い年をお迎えください。
蟹道楽
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