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大阪フェスティバルホールよ永遠に [JAZZ]

キースジャレットのソロピアノコンサートに行った。

現在の大阪フェスティバルホールでキースを聴くのもこれが最後。

大阪フェスティバルホールは今年の12月迄で解体され生まれ変わる。

あの山下達朗は「大阪フェスティバルホールを壊すことはカーネギーホールやオペラ座
を壊すことと同じようなもので愚行である。」と言っていた。

その位、最高の音響と存在感でクラシックを中心に世界中の音楽家から愛されてきた。

僕もこのホールで数え切れないくらいのコンサートを体験した。

このホールでキースを聴くのもこれが最後・・・・・

フェスティバルホールを見上げると多少寂しい気持になってしまった。

 フェスティバルホール1.jpg フェスティバルホール2.JPG

 

 エントランス・ロビー.jpg パブ .jpg

※大理石の柱とシャンデリアが連なる赤ジュウタンのエントランスロビー。
※二階のパブでコンサート前や休憩時間に一杯飲む酒は至福の時だった。

 

 

以前の記事でも書いたが、キースのソロコンサートには一切、楽譜はない。
完全な即興演奏(インプロビゼーション)によるコンサートである。

コンサートは前半5曲、後半4曲+α、アンコール3曲という短い曲で構成されていた。

キースはこの度のコンサートで観客に対してかなりのコミュニケーションをとっていた。

即興という初めて聴く曲のため観客は曲の終了が解り難い事がある。

『終わったかな?』という感じで控えめな拍手をしているとキースは客席に向かい笑顔で
『拍手していいんだよ!』というジェスチャーをするのだ。

また、この日は咳払いをする観客が多かった。

すると、曲の合間にキースは笑顔で『今なら咳もOK!』とか『準備はいいかい?』
というように観客に対して語りかけてくるのである。

キースとしては短い曲が続き、多少戸惑っているうちに前半は終了した。
20分の休憩を挟んで始まった後半のコンサートからは完全にキースの世界に引き込まれた。

そして3曲目・・・そう、待ち望んでいた旋律をキースが弾きはじめた。
キースでしか弾けない美しい旋律。
観客全員が身構えてステージに集中していたその時・・・

『ゴッホ!』 (右サイドより)

『ゲボッ!』 (左サイドより)

と、大きな咳払いの2連チャンが入ったのである。

キースは演奏を止め、客席に向かって『かんべんしてよ!』と言わんばかりに両手を広げた。

『う~ぁ、最悪や!』 と思わず僕はつぶやいてしまった。

会場全体も同じ気持だったのだろう、 『あ~ぁ・・・』と大きな溜息を漏らした。

その曲は、会場の全員が悔しがるほど美しく甘美な曲だった。
しかし、即興という”その瞬間だけの音楽”は二度と同じ曲の再現はない。

しかし、この日のキースの機嫌は悪くなかったようだ。
またもや、キースは客席に向かって苦笑いしながら『今のうちに咳払いしておいて!』と
いったようなジェスチャーをした。

そして、またキースはピアノに向かった。
途中で途切れたイメージを修復しているのであろうか、または新しいイメージを創り出して
いるのか、しばらくピアノの前で瞑想していた。

一切の雑音が無くなったホールで再び演奏が再開した。
ここからはキース特有の清らかな曲からブルースビートまで、時を忘れてしまう演奏だった。

キースのコンサートでは聴き手もかなりの緊張と集中力でコンサートに向合っている。
演奏中、2,700人の観客は物音一つたてず、固唾を飲んで聴き入っているのである。
聴衆も鬼気迫る緊張感が漂っているのである。

このような事を書くと、『コンサートで緊張なんかしたくない』と感じるかもしれない。
また、『音楽とは気持ちよく聴くものだろう』と言う人もいるだろう。

確かにその通りだ。

しかし、『楽しい、気持ち良い』という事を超えて極めた世界には次元の違う感動がある。

僕、個人的にはキースはパウエル、モンク、エバンスといったジャズピアニストの巨匠を
超えた存在だと思っている。

キースは今やクラシックや現代音楽界でも一目置かれた最高のピアニストである。

そのキースのコンサートは素晴しいに決まっている。

しかし、このフェスティバルホールに訪れた観客はそれ以上の演奏を求めてホールまで
足を運んでいるのだ。

だから一音たりとも聴き逃すまいと張りつめた緊張感があるのだ。

そしてキースは極限まで自分を追い込んで演奏をしているのである。
その結果、信じられないほど美しい旋律を聴かせてくれ感動を与えてくれるのだ。


アンコールの一曲目。
キースらしい曲の流れで始まったこの曲はまさに僕がキースに求めるものだった。
感極まった訳でもないが視野がかすんで、唇の端にしょっぱい感覚を感じた。

自分を極限まで追い詰めた演奏と聴き手の求めるものや緊張感が一体になった時、
特別な感情になって、自然と涙が流れてきたように思う。

アンコールからは会場の半分以上の人達と同じように僕も無意識にスタンディング
オベーションを送っていた。


このコンサートはレコーディングをしていた。

CDとして発売されるか否かは解らないが、後日この日の演奏をCDで聴いても
あの会場でうけた感動的な気持にはならないだろう。

あの時の会場全体に漂う緊張感はCDでは絶対に表現できない。

   

大阪公演は必ずフェスティバルホールで行ってきたキースジャレット。

コンサートの最後は「Over The Rainbow」で締めくくった。

最後にキースがフェスティバルホールにこの曲を捧げたような気がした。

  

   kieth.jpg

 

    

 


僕が初めてキースのソロコンサートを体験したのは20年以上前、サントリーホールだった。
その時の演奏がCD化されている。
アット・サントリー・ホール~ダーク・インターヴァル

アット・サントリー・ホール~ダーク・インターヴァル

  • アーティスト: キース・ジャレット
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/08/25
  • メディア: CD

 

 


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コメント 18

しゃおたお

記事を読んでいる私でさえも 何故か緊張しちゃいました。
キースジャレット氏・・・懐が広い方ですね~
更に「聴き漏らさない」という皆さんにniceですね♪
by しゃおたお (2008-05-26 12:16) 

ベアトラック

山下達郎さんのコメントは、彼のFM番組で聞きましたが・・・残念ですね。
ライブ、すっかりご無沙汰です。何か聴きに行きたくなってきました。
by ベアトラック (2008-05-26 17:06) 

たいへー

新しく、計算して作り直しても、
今より素晴らしい音になるとは限りませんものね。
コンサートホール自体が「楽器のようなもの」ですから、
古いものでしか出せない「味」が消えてしまうのが、
残念ですね。
蟹さんは、どう思います?
by たいへー (2008-05-26 18:09) 

青い花

劇場やコンサートホールというものは
持ち主、あるいは管理する自治体などの考えひとつで
簡単に行く末が決定されたりしますね
わが広島でもさまざまなホールでいろいろな問題が起きています
壊されこそしなかったけど、ある建物はたったの100万円で
民間に身売りしたという話を聞いてあきれ返ったものです

利用している私たちの財産でもあるんですけどね
by 青い花 (2008-05-26 22:01) 

鯉三

フェスティバル・ホールは本当に素晴らしく、わたしにとっても思い出深い場所です。まったく残念としかいいようがありません。歴史をもった公共の場所は、もはや経営者や自治体などのものではありません。なぜ、こういう結果に落ち着くしかないのでしょうか。返す返すも残念です。

キース・ジャレットとはまったく違う音楽性をもっていたペトルチアーニも、観客の拍手はいらないと言っていました。45分ノンストップでぶっ続けで演奏して、その後拍手をもらえるのなら喜んでそれを受けたいと。アーティストの中にはそういう人が意外と多いのではないでしょうか。問題は聴衆なのですが、理解のあるファンが多いキース・ジャレットは恵まれていると思います。観客は彼の奇跡的な即興の演奏を一音たりとも聴き逃したくないという思いで、至高の時を過ごされたことでしょう。
by 鯉三 (2008-05-26 23:58) 

蟹道楽

しゃおたお さん
緊張して頂きまして光栄です(笑)
キースジャレットは世間一般で言ういわゆる芸術家であり、難しい人という認識があります。
以前の東京公演では演奏中に観客の携帯が鳴り響いて、中断してしまったという事は有名ですので、この度も観客は冷や冷やものでした。
by 蟹道楽 (2008-05-27 00:11) 

蟹道楽

ベアトラックさん
そうでしたよね。
たしかサンデーソングブックでしたよね。
何だかこの発言も有名になってネット上でもかなり紹介されています。
ライブはせっかくアメリカに行かれるのだから、その時が一番いい機会だと思うのですが・・・お忙しいのでしょうね。


by 蟹道楽 (2008-05-27 00:14) 

蟹道楽

たいへーさん
まさしくたいへーさんのおっしゃる通りだと思います。
ホールも楽器のようなものなんですよね。
またオーディオと同じで反響盤を1㎜移動させても音が変わってしまうのです。新しくなったフェスティバルホールが現在のように素晴しい音響になるとは到底思えないのです。ここまでの音になったのは50年という歴史の中でチューニングを行ってきた結果だと思います。

by 蟹道楽 (2008-05-27 00:39) 

蟹道楽

青い花さん
フェスティバルホールは大阪の中心にあります。
要するに持ち主の朝日新聞グループが『土地がもったいない』と愚かな考えを持ってしまって、高層ビルに建て替えるそうです。
日本の最も悪い考えだと思います。
古いものをすぐ壊してしまう。
ヨーロッパでは考えられない事です。
青い花さんのおっしゃる通りまさしく我々の思い出が詰まった財産なのです。
by 蟹道楽 (2008-05-27 00:46) 

蟹道楽

鯉三さん
多分鯉三さんもこのフェスティバルホールには色々な思い出があるのでしょうね。
僕も一番コンサートを多く体験したのはこのホールだと思います。
一番色々な思い出がつまったホールです。
この度の解体については、ちょっと違うかもしれませんが藤井寺球状の解体に似た感覚を覚えてしまいます。

キースのコンサートは東京でも何度聴きましたが、観客は確かに真剣にというか、神経質といっていいほど緊張感を持っています。
まあ、中には携帯を鳴らしてしまう人もいますが・・・たくさんに人が集まる場所ではある意味避けられないことでしょうね。
ただ、一つ言える事は観客は『キースが機嫌を損ねて帰ったら大変や!』という不安を持ちながら聴いているのかもしれませんね(笑)
by 蟹道楽 (2008-05-27 00:57) 

ab-ovo

 最高の集中力で演奏してるので気持ちは察します。ただ、携帯はともかく咳払いですから、キースも仕方ないっと.思ったのでは・・・と。
by ab-ovo (2008-05-27 11:16) 

蟹道楽

ab-ovo さん
実は僕も以前キースのソロコンサートの時、突然”エヘン虫”にやられて苦しい思いをした経験があります。
自分の経験から咳はしょうがないと思うのですが。
あの時は自分の事は棚にあげて、真剣に腹が立ちました(笑


by 蟹道楽 (2008-05-28 00:41) 

蟹道楽

xml_xsl さん
いつもありがとうございます。

by 蟹道楽 (2008-05-28 00:41) 

koto

咳払いが癖になってるオッサン、普段から気をつけてほしいものです。
おしゃべりはオバサンやね。こんな人はコンサートに来る資格なし。
次男の合唱のコンサートもここで何度かありました。
思い出深いです。
by koto (2008-05-28 08:22) 

蟹道楽

kotoさん
咳は意識すればするほど、出てしまうものです。
しゃあないですがせめてハンカチ等で押さえて欲しいものです。
オバサンのおしゃべりもしゃあないですか・・・
まあ、興味の無い者が、親族が出てるということだけで来てますから、暇でしょうがないのでしょうか・・・
フェスティバルで何度も合唱コンサートが出来ることは幸せですね!
何と言ってもフェスティバルはカールベーム~キースジャレット~レッドツェッペリン~山下達郎まで、大物が立ったステージですからね!

by 蟹道楽 (2008-05-31 01:09) 

starfish

ご無沙汰です。

キースのコンサートに携帯を鳴らすというのは、かなりのチャレンジャーだと思うのですが・・・
by starfish (2008-06-01 21:55) 

蟹道楽

starfish さん
ありがとうございます。
2,700人もいたら一人くらいいても不思議は無いのですが、やはり会場が携帯の電波を切るくらいの配慮が欲しいです。
この度のフェスティバルは演奏が始まったら携帯の電波を切りますとアナウンスしてましたが、ホントかどうか?
by 蟹道楽 (2008-06-03 01:19) 

ななし

僕もこのコンサート行きました。
一人で見に行ったので話せる人が居なくて寂しかったので
じっくり共感させてもらいました。
by ななし (2008-07-07 02:35) 

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